阪神・淡路大震災の発生から20年です。
皆さんは震災の前日を覚えていますか。
1995年1月16日、月曜日、3連休の最終日。
神戸の天気は晴れのち曇りでした。
1月16日に思いをはせ、そこから20年をふりかえってみませんか。
いただいたメッセージは、神戸新聞紙面に掲載することもあります。

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担当者が
聞きました

思い出す家族団らん

きのう17日は、皆さんにとってどんな日でしたか。1月8日にご紹介した〈ハーバーランドでショッピング〉に〈1月17日を迎える度、前日の楽しかった家族団欒を思い出し...〉という一文があります。投稿された〈理恵〉さんに1月上旬にお会いしました。

〈平日が休みの父と、そして母と家族3人でハーバーランドでショッピングをしていました。父は17年前に亡くなり、震災の日のことも前日のことも、父との忘れられない思い出の1つです。正直、震災より前の神戸の姿は覚えていません。でも1月17日を迎える度、前日の楽しかった家族団欒を思い出し、子供に戻って思い切り父に甘えたくなります。〉
震災当時、〈理恵〉さん一家は須磨区に住んでいました。自宅マンションの被害は比較的軽かったのですが、父方、母方の実家は全壊したそうです。〈理恵〉さんは小学校に避難した後、間もなく祖父と西区の親戚の家に向かいました。「だからかもしれないのですが、震災でしんどかった記憶がないんです。おじいちゃんっ子の私は、祖父と一緒にテレビを見たり、犬を散歩に連れて行ったりしてました」
1月末には通っていた小学校に戻り、日常を取り戻しかけますが、4年生のとき、お父さんの死という震災以上の出来事が起こりました。「一人っ子の私をすごくかわいがってくれて、土日が忙しい人なのですが、いろいろなところに連れて行ってくれました。動物園や遊園地や旅行の写真がいっぱいあります」
お父さんとのたくさんの思い出の中でも一番が、投稿でつづったハーバーランドで過ごした震災前日だそうです。〈理恵〉さんに遠い日を振り返ってもらいました。
「当時は阪急百貨店がありましたよね? 催事場でお正月か何かのお祭りイベントがあってそこで遊んだ後、お昼ご飯はモザイクの中のミュンヘンでした。そこで唐揚げを注文しすぎて、持ち帰ることになったような...。母が『おじいちゃんとこ、持っていこうか』と言っていました。ごく普通の出来事なのに、この日のことが一番覚えているんです」
お父さんと過ごした時間よりも、お父さんがいない時間の方が随分長くなってしまいました。思い出すと懐かしさと悲しみが混ざったような気持ちになり、1人だと泣いてしまうこともあるそうです。「17日が近づいてくると、自然と父のことを考えています」

きのう17日、〈理恵〉さんは、在りし日のどんな姿を思ったのでしょうか。

2015年01月18日

胸がつまるような投稿

1月13日の記事でご遺族を紹介しました。17日が近づくと「また来るんだなあ」とそわそわするというお気持ちをうかがいました。大切な人をなくした人は、この時期をどんな思いを過ごされるのでしょうか。そんな方から投稿が届きました。

神戸市垂水区の女性のお話です。震災の前日、4月に小学校に入学する長男の学習机を買いに行きました。おばあちゃんが学習机代を出し、その夜に長男が電話しました。「ばあちゃん、机ありがとう。届いたら見にきてね」と。ばあちゃんは地震で家の下敷きになり、長男の学習机を見ることはできませんでした。社会人になった女性の長男は、今もその机を使っているとのこと。
長男の方は26、27歳でしょうか。窮屈そうにでも大事にばあちゃんの机を使っているシーンを想像しました。今も皆さんの心の中に、しっかりとばあちゃんがいらっしゃるんですね。

神戸市東灘区の女性は、16日の出来事をつづっていただきました。
夕方になって、新年会から帰ってきたお母さんが珍しく家にきてくれたこと、お土産にもらってきたお惣菜と新年会のお楽しみ抽選会で当たったパックのお醤油を持ってきてくれたこと、そのお醤油に何かことわざか教訓のようなものがは貼ってあったこと...。お母さんとのやりとりは玄関先で終わってしまったそうです。お父さんとは前日には会えず、15日夜、小豆粥を作った残りで作ったおぜんざいを食べさせてくれたのが最後になったそうです。
投稿の最後は〈お葬式をするために、京都の親戚の家まで2台の棺をトラックに乗せて夜どうし走ったことは一生忘れることはないでしょう。〉とありました。
日常の中では、翌日、翌々日に大切な人との別れが来るなんて誰も思いません。でも阪神・淡路大震災では予期しない別れが数えきれないほどありました。だからこそ、15、16日にあった何気ない場面が胸に迫りました。

2015年01月15日

17日が近づいてきました

阪神・淡路大震災から20回目の1月17日が巡ってきます。掲示板「震災の前日」に、皆さんからさまざまなエピソードが届いています。年末、当時高校1年生でお父さんを亡くした女性とお会いしました。そのお話を紹介します。

お正月気分が抜けるころ、「また来るんだなあ」とそわそわする。悲しみともまた違う。一日中ずしっとした気持ち。「早く終わって」とまでは思わなくても、その日が過ぎるとやっぱりほっとする。
西宮市の高美也子さん(35)に、1月17日について尋ねると、こんな喩えをしてくれました。あの時間、工務店を経営するお父さんは1階、お母さんと美也子さんと2歳上のお姉さんは2階にいました。激しい揺れに飛び起きると、窓から見る風景がいつもと違いました。「おとうさーん」と呼んでも返事がありません。パジャマで裸足の美也子さんとお姉さんは救急車を呼びに走りました。
「夕方、近所の人が出してくれたんです。それを私は『助かった』と勘違いして...」。近くの小学校に避難した美也子さんとお姉さんは「二人とも遅いね」と待ち続けました。「あかんかった」と肩を落とすお母さんに、美也子さんらは「なんで」「助かったやん」と言うのがやっと。病院の待合室に安置されたお父さんを取り囲んで夜を明かしたそうです。
父吉孝さんは、職人さんにとっては面倒見のいい親方。家では毎年家族旅行に連れて行ってくれるよき父でした。「きっぷがよくてお酒もたばこも大好き。江戸っ子みたいなお父さん。でも地震後、母が思い出話をしても、私と姉はわざとすり替えていました」
20代前半まではそうでした母子のやり取り。受け止められるようになったのは?
「時間でしょうか。今は実家近くを母や姉と歩いていて『この喫茶店、みんなで行ったよね』とか意識せずに話せるようになりました」。リビングや和室には、吉孝さんの写真を飾っています。ゴルフ場で撮ったもの、車の前で撮ったもの。懐かしい気持ちで手に取ることができるそうです。
震災から20年になります。「いないけど身近な存在」「いないけど、『お父さん』って自然に口にできる」。今も美也子さんはお父さんが大好きです。「もちろん母も大好き。私が今幸せなのは母のおかげだから」
17日が近づいてきました。土曜日のその時間、美也子さんは黙とうし、吉孝さんを思います。そして家族でお墓に花を供え、親子で話します。大好きなお父さんの思い出を。

2015年01月13日

掲示板を開いて2週間...

阪神・淡路大震災の前日の出来事をお尋ねする掲示板を開いて2週間。150件を超える投稿をいただきました。

切ないお気持ちをつづられた方、「こんなことが前日に...」という思いもよらないエピソードを紹介してくださった方、掲示版担当として、うなずきながら驚きながら1通1通読んでいます。「赤かった」「オレンジ色だった」といったお月さまの記憶を複数の方が挙げています。ペットや動物の異常行動を記憶にとどめる人もいらっしゃいます。
記者自身は当時20代で、阪急春日野道駅近くのアパートに住んでいました。お恥ずかしい話ですが、1月16日の出来事を思い出そうとしているのですが、皆さんのようなエピソードどころか、ほとんど何も浮かびません。とりたてて何のドラマのない平凡な休日だったような気もするのですが...どうもあやふやです。
投稿を読みながら、何とか震災前日に時計の針を戻したいと思案中です。

2015年01月08日

投稿をお待ちしています

阪神・淡路大震災は2015年1月17日、発生から20年になります。普段は胸の奥にしまっている記憶や感情が、この時期になると、何かの拍子によみがえる方も多いと思います。

掲示板で「震災の前日を覚えていますか」と皆さんにお尋ねしていますので、気軽に投稿してください。

2015年01月05日